東北と自転車大会の歴史
1952年6月4日、国鉄仙台駅前の青葉通り。午前9時の号砲とともに、東北6県9チーム選手の自転車が一斉にダッシュしました。「三笠宮杯東北一周自転車競走大会」の開催です。「きらめく銀輪の一団にオフィス街の窓という窓は鈴なりになって手を打ち振っている…」。当日の河北新報夕刊は、自転車選手が駅伝で駆け抜けた沿道住民の盛り上がりをこう伝えています。
東北一周自転車競走大会は河北新報社と日本自転車競技連盟の主催で、第1回は東北6県の約1000キロを5日間で走破。一人平均100キロを走る大会は東北の競技力向上に貢献し、1964年の東京五輪自転車競技には、15人中9人の代表選手を東北から輩出しました。また、大会は当時、整備が遅れていた東北の道路事情への理解を高め、改良への世論を高める役割も担っていました。
車社会の到来とともに東北の道路事情も徐々に改善。東北一周自転車競走大会は駅伝方式での開催が難しくなったことから、1971年の第20回で幕を閉じました。1972年からの「東北自転車競技選手権」や「東北地域自転車道路競走選手権」を経て、1993年からは「三笠宮杯ツール・ド・とうほく」に衣替え。各県のコースを転戦するステージ方式で2007年まで続きました。
「三笠宮杯ツール・ド・とうほく」は東北6県対抗の枠を超え、実業団や女子にも門戸を広げて開催。特に「自転車の甲子園」を目指して設けた男子ジュニア(高校生)の部には全国から精鋭が集う名門大会に育ちました。その大会の名を冠して2013年に開かれたのが「ツール・ド・東北 in 宮城・三陸」です。歴史を受け継ぎ、サイクリストが東北の大地を駆け抜ける舞台が、被災地の復興支援という使命とともに、再び幕を開けました。